美しい人(長い)

 

彼は有名人だった。

世に必要とされていて、

誰もがその美しい容姿に溜息をついた。

 

 

出会ったのは、仲間内の飲み会。

 

輪の真ん中ではしゃぐ彼に、

「やっぱり陽キャなんだな」って思った。

 

 

しばらくしてみんな酔いが回り、

騒ぐのにも疲れたころ

彼はわたしの耳元でこう囁いた。

 

「帰るならこのタイミングだよ」

 

見透かされていた。

キラキラしたこの空間に

全く馴染めていないことを。

 

また何か言っているけど、

今度は誰かの声に遮られて

よく聞こえない。

 

浮いてるやつは帰れってこと?

いや、そのときのわたしはだいぶ酔っていて

かなり好意的に捉えたのを覚えている。

 

お礼を言って荷物をまとめ、

隙をついてその場を後にした。

 

 

これが彼との出会いだった。

 

 

その後も何度か共通の友達を介して顔を合わせて、

連絡先を交換するまでになる。

 

だけどわたしは連絡がマメな方ではなく、

忙しい彼にもそれを求めることはなかった。

 

 

そして、ある飲み会でのこと。

 

仲間内の誰かの誕生日だったかと思う。

 

みんないつも以上にテンションが高く、

ちょっと覚えてないぐらいに

コカボムを飲ませられた。

 

天井がぐるぐる回る。

ジーンズを穿いてきてよかった。

スカートだったらパンツ丸見えだ。

 

あぁ、本当にこの空間が嫌い。

 

 

すっかり泥酔した目で

趣味の悪いシャンデリアを眺めていると、

視界にひょっこりと綺麗な顔が飛び込む。

 

「何してんの」

 

彼の声は聞いたことがないぐらい

冷ややかで、

すぅっと酔いが醒めるのを感じた。

 

「水、いる?」

 

わたしは頑なに首を横に振る。

 

「いいから」

 

ほとんど無理矢理水を飲ませられて、

わたしは少し噎せた。

 

ぼーっとした頭で彼を見つめていると、

ほら行くよと腕を掴んで立ち上がらされる。

 

出口へ向かう途中、

誰かにぶつかった気がしたが

わたしにはもうそんなの気にする余裕はなく

ただわたしの腕を引く彼の後頭部を見つめた。

 

このままホテルに連れ込まれるのだろう。

お持ち帰りか、いやだな。

まぁでも仕方ないか、

酔っぱらったのはわたしのせいだし。

 

よく働かない頭のまま、

キンと冷えた外の空気を吸い込むと

久しぶりに煙草を吸ったときのように

くらくらとした。

 

彼はまだわたしの腕を掴んでいる。

向かう先はどうやらホテルではないらしい。

 

互いに無言のまま5分ほど歩くと、

彼はふいに立ち止まった。

 

そして振り向きながら、

さっきと同じように冷たい声でこう言った。

 

「気をつけろって言っただろ」

 

そんなこと言われたっけ?

あぁ、あのときかな。

 

初めて会った夜、

聞こえずに流したのは

わたしに注意を促す言葉だったのか。

 

「ごめん」

 

思わず謝ってしまったが、

正直言って何故彼に謝らなければならないのか

わたしにはよくわからなかった。

 

 

その後、わたしたちは

コンビニでホットコーヒーを買って

近くの公園のベンチとも言えないような

丸太に腰掛けて

しばらく何でもないことを話した。

 

こんなところに女といて、

週刊誌に撮られたりしないのかと尋ねるが

「あー」だの「そうだねー」だのと

軽い返答しか返ってこず

わたしもそのうち気にするのをやめた。

 

 

何が好きかとか

どんな幼少期を過ごしたかとか

とにかく色々なことを話した。

 

ただ、話すだけだった。

 

年の瀬の明け方、

手がしびれるような寒さの中

寄り添いあって切れ間なく話す。

 

もうこれから先、

二度と会えないかのように。

 

 

 

空が白んで朝を迎えたころ、

彼はアプリでタクシーを手配しながら

ぼそりとこう呟いた。

 

「俺たちって似てるね」

 

そしてわたしの返答を待たずに続ける。

 

「でも、絶対にこっち側に来ちゃダメだよ」

 

こっち側が何を指すのか

今でもよく分からない。

 

ただそのときのわたしは

眉尻を下げて笑う彼が

どうしようもなく寂しそうに見えて

ひりひりした痛みを胸に感じていた。

 

 

それからしばらくして

世界はコロナ禍に包まれることになる。

 

彼とは相変わらず

ごくたまに連絡を取り合うのみで、

会う約束を取り付けることもしなかった。

 

またそのうち誰かの飲み会で

顔を合わせるだろう。

 

そのとき、わたしは何事もなかったように

よそよそしく振る舞うし

彼にとってもそれがいいのだと思う。

 

わたしは一般人で、

彼は芸能人なのだから。

 

 

 

 

ある日のこと。

 

 

夕方ごろだっただろうか、

Twitterのタイムラインがざわついていることに気づく。

 

その瞬間、わたしは突き落とされた。

寒いねと言い合ったあの日よりも

ずっと冷たくて凍えそうな奈落の底に。

 

 

 

俳優 ○○死亡 自殺とみられる

 

 

 

 

 

苦しい。

息がうまく吸えない。手が痺れる。

何も分からない。

持っていき場のない感情が溢れて、

声にならない声を上げ続けた。

 

彼が死んだ。

 

どうして、どうして、

こんなの絶対に現実じゃない。

 

 

どれだけ叫んでも、泣いてみても、

事実が変わることはなく

テレビやネットでは連日彼の死が

しきりに話題に挙げられていた。

 

それもいつしか落ち着き、

世間は次の話題へ食いつく。

 

わたしも薄紙を剥ぐように日常を取り戻し、

彼のことは考えないようにしていた。

 

彼はもういないのだ。

 

 

5キロ痩せた腹いせに6キロ太った。

気に入った男と酒を飲んだ。

伸ばしていた前髪を短く切った。

スマホを壊してしまって

彼とのトーク履歴が消えた。

 

 

それでもなお、心はどんよりと曇る。

その理由を分かってはいたはずなのに、

わたしにはそこから逃げ続けるしかできなかった。

 

どうにもならないことを

大真面目に考え込んでも仕方ない。

 

 

友人のひとりが死んだ。

それだけ、と言ったら聞こえが悪いだろうか。

 

 

 

そんな毎日を送っていたら、

わたしの前にひとつの奇跡が舞い降りる。

 

好きな男ができた。

 

 

 

わたしはこれまで

「好きだ」と言葉にすることを避けてきた。

 

パートナーを一人に絞ることを嫌い、

間違っても愛し合うようなことは

したくなかったから。

 

言葉には責任を持たなければならない。

 

それなのに、

わたしは気付けばその人に好きだと

本当に好きなのだと伝えていた。

 

涙が出るほどに愛おしく思っていた。

 

その人は言った。

「これが恋なのだ」と。

 

 

そうか、これが。

自棄になっていた身体は宙に浮くようで、

視界がクリアになった気がした。

 

前に進めるのだと思う。

 

 

 

言葉にしてしまえば

それは具現化してしまう。

 

わたしにはそれが恐ろしく、

立ち回りがうまいふりをして

臆病に逃げ続けてきた。

 

 

あのとき、

わたしは確かに彼に恋をしていた。

 

好きだった。

 

まだ何も伝えてない。

そして、二度とそれは叶うことはない。

 

 

でも、思うのだ。

彼がこの世界に存在し続けたとしても

わたしたちは恋愛にならなかっただろう。

 

男女として振る舞うには

あまりに似すぎていた。

 

それにわたしは一般人で、

彼は芸能人なのだから。

 

 

 

友人のひとりが死んだだけ。

だが、自分の半身をなくしてしまったかのように

深い深い喪失感を感じた。

 

それほどまでにわたしたちは「同じ」だった。

 

 

「こっち側」がもし、仮に、万が一、

彼がいってしまった場所を指すとしたら、

もう心配しないでくれ、と思う。

 

わたしの居場所はここだと決めたから。

 

 

 

わたしは美しい男に恋をした。

 

この気持ちはわたしだけのもの。

綺麗な箱にきちんと入れて、

心の奥の安定したところに仕舞っておくのだ。

 

 


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