泥団子(めちゃ長い)

和泉という友人がいた。

 

彼とは幼稚園が一緒で、

小学校で離れたのだが

中学で同じクラスになり再会した。

 

久しぶりに会う和泉はかなり身長が伸びていて

中一の時点で180cmもあり、

すっかり男性になっていた。

 

幼稚園の頃は女の子みたいに華奢で

園の行事で河童に扮した園長に追いかけられて、

この世の終わりかのように大泣きしていたのに。

 

たいそうな成長ぶりに驚いたわたしが

このエピソードを話すと、

和泉は顔を真っ赤にしてそっぽを向く。

 

怒り方が思春期らしくて、

同い年のはずのわたしは何故だか微笑ましく思った。

 

 

そんな和泉は、

あるときわたしの友人と付き合い始めることになる。

 

決して美形ではないけれど、

切れ長で涼し気な目をしていて

彼には一定のファンがいたように思う。

 

そしてわたしの友人もその一人だったのだ。

 

「和泉くんと付き合うことになったんだ」

 

部活の片付けをしていたわたしのところまでわざわざ来て、

そう話してくれた友人・里香は

わたしのラケットを指先でいじりながら

少し恥ずかしそうにしていた。

 

里香の長いまつ毛が微かに揺れて、

緊張しているのが見て取れる。

 

今になって思えば、

きっとわたしも和泉のことが好きなのだと

里香は思い込んでいたんだろう。

 

しかし、わたしには一切その気がなく

そして和泉もまたわたしに恋心や

やましい気持ちを抱いていないと断言できた。

 

むしろ仲のいい友人同士が

カップルになることはとても喜ばしく、

帰り道に恋バナに花を咲かせたことは言うまでもない。

 

ただひとつ思うことがあるとすれば、

気軽に和泉と遊べなくなるのは

ほんの少しだけ悲しかった。

 

 

 

しかし、2人は夏休みに入る前に別れてしまう。

交際期間は1か月にも満たなかったと思う。

 

中学生の恋愛ごっこなど

数日で終わるなんてことはよくある話。

 

まわりにも数え切れないほど

そんな恋愛未満な男女が転がっていたし、

わたし自身にもそんな経験がある。

 

いくら背伸びをして「付き合う」だ「恋人」だと言っても、

所詮まだまだ子どもなのだ。

 

 

振られた形になった里香は

2日ほど泣いたり自棄になったりしていたが、

夏休みが半分過ぎた頃には

新しい恋を見つけていた。

 

 

そのうちわたしは別の仲良しグループができ、

2人とはいつの間にかつるまなくなる。

 

 

いくつかの季節が過ぎて、

わたしたちは中3になった。

 

わたしは当時中学最後の大会を

目前に控えていて、

なおかつやや難関校への進学を考えていたので

絵にかいたように時間に追われる生活をしていた。

 

あれは7月のはじめ頃だったと思う。

 

睡眠不足の身体に

無理矢理朝食を押し込んでいるところに届く一通のメール。

 

「今日学校サボんね?」

 

和泉からだった。

 

何を言っているんだか。

わたしには徒に消費できる時間などない。

 

ましてや一限目には数学の小テストがある。

 

 

わたしは小さく溜息をついて、

こう返信した。

 

 

「いいよ」

 

 

 

指定された場所に行くと

和泉はもう到着していて、

Yシャツの袖を肘まで捲った腕を

こちらに向けてぶんぶん振っていた。

 

ここはわたしたちがよくつるんでいた頃、

集合場所にしていた公園。

 

階段で登れる見晴らし台があり、

小さな海街を一望することができる。

 

かっこつけて煙草を吸って

警察を呼ばれたのもこの公園だ。

 

 

初夏の日差しにうっすらと汗ばんだ和泉の額は、

こんがりと日焼けしている。

 

「泥団子、作んね?」

 

にんまりと笑い、

そう言いながら子供用のスコップを

わたしにグイと押し付ける和泉。

 

わたしはそれを受け取り、

「任せろ」と小さく答えた。

 

 

何時間そこにいただろう。

気付けば太陽は真上から少し傾き、

近くの民家からはいいとものエンディングが聞こえる。

 

わたしと和泉はほぼ会話せず、

一心不乱に泥団子を作り続けていた。

 

ぴかぴかに仕上げるにはコツがいる。

さらさらの砂をまぶした後、

柔らかい布でそっと優しく磨くのだ。

 

ちょうどいい布がなかったので、

わたしは部活で使うサポーターで磨いた。

 

 

「ほら」

 

和泉が自慢げに差し出した完成品の泥団子は

わたしのものより一回り小さいが

面が鏡のように美しい。

 

しかしわたしは負けず嫌いで、

「小さいね、背はでかいのにね」なんて

からかうように言う。

 

 

顔を真っ赤にして怒るかと思ったのに、

和泉はへらっと笑ってこう言った。

 

「本当だな!」

 

わたしのからかいを意に介せず、

和泉はただニコニコしている。

 

あぁ、どうして一人だけ

大人になっていってしまうの。

 

大きいけれど目の粗い泥団子を

手のひらに乗せたまま、

わたしは何だか泣きそうになった。

 

すると和泉はおもむろに立ち上がり、

乾き始めた手の泥をぱんぱんと払う。

 

そして自転車にまたがりながら、

和泉はまたにんまり笑う。

 

「海でも行くか」

 

「海ならすぐそこにあるじゃん」

 

「馬鹿、もっとすげー海だよ」

 

 

すげー海、という幼稚な表現は

幼稚なわたしにはとても魅力的で

言われるがままに和泉の後ろに乗るのだった。

 

 

この時間に2人乗りをしている中学生は

とても目立つ。

 

すれ違う大人全員が

わたしたちを怪訝そうに見た。

 

怒ったような顔を向けるおばちゃんもいた。

 

だがそんなのおかまいなしに、

わたしと和泉は「イエーイ」とか

「うおー」なんて言いながら

大きな声で笑い合う。

 

ちゃんと掴まれよなんて言われたけど、

わたしは頑なにそうせずに

身体をのけぞらせて荷台の端を掴んだ。

 

だって和泉の背中はもう

河童で泣いていた男の子じゃなく

一人の立派な男性だったから、

わたしには恥ずかしくて

その身体に腕を回すことなどできなかった。

 

 

しばらく自転車を走らせ、

和泉はスピードを落としながら

やがてゆっくりと止まった。

 

荷台からひょいと飛び降りて

辺りを見渡す。

 

「すげー海、ないじゃん」

 

目の前に、確かに海はあった。

 

だがそこは昆布だかわかめだか海苔だかを

養殖しているようなだいぶ透明度の低い海だ。

 

「もっと遠くに行けるはずだったんだけどなぁ」

 

そうぼそぼそと言う和泉は、

首にかけたタオルで汗を拭きながら

大きな手でわたしの崩れた前髪を直す。

 

「まぁ、でもいいよ」

 

わたしたちは自販機で

アクエリアスを一本ずつ買って砂浜に降り、

古びた小さな船に背中を預けて座った。

 

そしてくだらない話をたくさんした。

 

最近MDに入れた曲や、

昨日のドラマのこと。

 

数学の佐藤先生が

奥さんと喧嘩したらしいという噂話、

部活のこと、友達のこと、

そして将来のこと。

 

「和泉は高校出た後、

東京の大学いくの?」

 

「いや、」

 

空になったペットボトルを

爪の先でコンコンと叩きながら和泉は言う。

 

「就職する」

 

「えっなんで、もったいない」

 

今思えばとんでもなく失礼な言いぐさだったと思う。

 

でもそのときのわたしは

本当にもったいないと思ったのだ。

 

和泉はずば抜けてというわけではないが、

成績がよく部活でも結果を残していたから。

 

それに、わたしと和泉は

志をともにしていたことがある。

 

パイロットになろう」と、

航空大学校のホームページを見ながら

熱く語り合ったっけ。

 

わたしがそれを諦めざるを得ないようになってから、

2人の間でこの話はタブーになっている。

 

 

 

驚くわたしの顔をちらりと見た後

海へと視線を戻す和泉の横顔は

困ったようにも悲しんでいるようにも見えた。

 

そして、

「親、離婚するんだって」

 

元々家へほとんど帰ってこなかった父親が

よそで別の家族を作っており

本格的に離婚が決まりそうだと。

 

和泉は母親についていくことにして、

女手ひとつで生活していくには不安だろうから

歳の離れた二人の弟のためにも

大学へは行かずに就職して

家族の面倒を見るんだと、そう教えてくれた。

 

「養育費なんか、払ってくれるか

分かんねーからな、あのおっさん」

 

わたしは何も言えなかった。

ただやるせなさが胸いっぱいに広がって、

鼻の奥がつぅんとした。

 

生まれて初めて感じる無力感に

ひたすらに打ちのめされる。

 

唇を固く結んだまま、

わたしは自分の靴へと視線を落としていた。

 

「だから…」

 

消え入りそうな声でそう呟いた後、

和泉は押し黙る。

 

しばらく波と風と、

遠くの方の喧噪を聞いていた。

 

そして次に聞こえたのは、

和泉が鼻をすする音。

 

「お前がパイロット諦めたって聞いて、

それなら俺がなるって思ってたんだけど」

 

涙声だった。

わたしはまだ顔を上げることができない。

 

「でも自衛隊に入ったら、家に、いれないから、

それだと母ちゃん、不安だろうから」

 

たまに嗚咽に区切られながら、

一生懸命に話す和泉。

 

「だから、俺…

パイロットなれなくて、ごめん」

 

そこまで言い終えると、

和泉は肘の内側に顔を押し付けた。

 

視界の端でひっくひっくと

身体を震えさせる彼にかける言葉を

わたしはこの期に及んで見つけられないでいる。

 

「和泉」

 

意を決して顔を上げ、

和泉の方へと身体を向ける。

 

すると和泉は乱暴に自分の顔を

手の甲でごしごし拭いて、

首を横に振った。

 

赤くなってしまった和泉の目元は

いつもと同じように涼し気で、

そしてとても優しい。

 

「いいよ、なんて言っていいのか

わかんないよな。

泣いたりしてごめんな!」

 

よし帰るか、と立ち上がる和泉の背中が

どんどんぼやけていく。

 

振り向いた和泉は

「お前が泣いてどうすんだよ」と笑った。

 

 

 

 

帰り道は自転車をひいて、

2人並んで歩いた。

夕日は沈みかけている。

 

家についたら母にしこたま怒られるだろう。

明日担任や部活の顧問にも、

目から火が出るぐらい怒られるかもしれない。

 

でも、今日という一日を

わたしは微塵も後悔していなかった。

 

むしろ清々しさでいっぱいだ。

 

そして、これだけは和泉に

伝えなければいけないと思った。

 

「うちらずっと友達だからね」

 

 

嬉しかった。

語り合った夢を覚えていてくれたことが。

そして、

ひと時でもわたしの夢を

代わりに見ようとしてくれていたことが。

 

わたしたちはどちらからともなく

手を差し出し、

固く固く握手をして

そして各々の家へと歩き出す。

 

 

 

これが恋にならなくて本当によかった。

キスをしないで、

抱きしめ合わないで本当によかった。

 

それはきっといつか終わってしまうから。

 

わたしを好きにならないでくれてありがとう。

 

和泉を異性として見れなくて、

本当に嬉しい。

 

 

 

ある夏の始まりの日、

和泉と海へ行ったことを

わたしは一生忘れないだろう。

 

 

 

 

和泉が自衛隊に入隊したと聞くのは、

ここから十年近く先のこと。